正直もう止められない

LDHファンが超特急を知ってから

超特急がくれたもの

ずっとそうだったけど、2020年、超特急がくれたものがあまりにも大きかったなと思って。ライブや楽曲みたいな直接的なもの以外の部分を今日は書きたいなと思います。

 

 

 

SNSで知り合った人と会った」と言うと危ない香りがするかもしれません。でも、それってきっと「SNSで知り合った(よく知らない)人と(お互いに自然じゃない流れで)会った」ことが危ないんじゃないかと思います。会う目的にどちらかが何かしらの違和感を覚えてたりとか。急に会って話してみようという話が持ち上がったりとか。

 

SNSで知り合った人と会うことを薦めるわけではなく。ただ、コロナ関連で気持ちが塞いでいく中で、楽しみをくれたり励ましてくれたりした人たちの中に「SNSで知り合った人」がいたから。

 

超特急が出会わせてくれた。

いい出会いをしたな、と思った話。

 

 

 

多くの芸能人がTwitterInstagramをやる中で、私も好きな芸能人のSNSは見たい気持ちがあったし、大学生まではよく使っていたTwitterでそれらを見始めるとタイムラインがゴチャゴチャしてしまうから違うアカウントを作ったのが大学生のとき。

ちょうどいいから好きなことを好きなように呟いていて、そこには今まであまり人に話さなかった「好き」の中身とか、そういうものがありのままに積もっていきました。

「好きなもの」って話す人を選ぶという思いがあって、これまでは同じように好きな友人とか、何でも楽しく聞いてくれる友人とか、そういう人にだけ話していた「好きなもの」の話を遠慮なくできる場ができた。そういう思いがありました。一緒にライブに行く友達はいたし、1人でも行けたし、そもそも人見知りだし、別にSNSで友達を作りたい気持ちは無かった。それでも自然と繋がりは広がって、同じものを見て感想を言い合うような人が何人かできました。

 

そもそも超特急と出会わせてくれたのは、そうしてSNSを通じて知り合った友人でした。

 

彼女とは同い年で、好きなアーティストの懐かしい話も含めて何度も話が盛り上がった。繋がって間もなく、SNS上でよく絡むようになりました。

とはいえ、私が人見知りということを除いても、SNSで仲良くなった人と実際に遊ぶのはハードルが高い。それは当たり前の感覚で。例えば私が普段使っていた、いわゆるリアルのアカウントで知り合いじゃない人と繋がって、さらに会おうなんてそんな話には絶対にならない。それは今もずっとそう。

じゃあなんで趣味のアカウントではそういうことが起こるのかというと、お互いに「好きなもの」の話をする中で会話が盛り上がったのもそうだけど、タイムラインに流れる彼女の呟きから本当に「好きなもの」の話をしていることが充分に伝わったのが大きかったと思います。

仮名だからこそ嘘がない、っていう私と同じ感覚でいる人だなと。フォローし合う関係になってしばらくすれば絶対分かる。その人が同じ温度で好きなんだってこととか、多少なりとも人となりが分かる。お互い好きでやってるアカウントなんだから合わなさそうだなと思った人とはそれ以上関わらないし、話が盛り上がることもない。だから楽しく会話できてる時点である程度の信用があるというか。

SNSで趣味のアカウントを持っている人なら説明するまでもなく分かる感覚だと思います。現場でフォロワーに会うのは恒例行事ですもんね。)

そういう根拠から、彼女とは一緒にイベントに行こうという話ができるようになりました。

 

そのイベントが、「はじまりの日」*1に書いていたものです。超特急と出会った日。

 

彼女が出会わせてくれた超特急のおかげで、その後たくさんの出会いに恵まれました。

 

 

 

2020年、コロナで有観客ライブが出来なくなり、外出も気軽に出来なくなり、気が滅入る毎日を過ごしていました。友人とビデオ通話をしてみたり、ゲームの通信で遊んでみたり、直接顔を合わせずにコミュニケーションを取る日々が続きました。

ふと思ったんですよね。私は元々電話をよくするタイプではなく、直接顔を合わせるコミュニケーションが普通だった友人たちとは気軽に連絡を取れなくて。これは私の問題なのですが、リアルの友人たちとは「会って話すのが一番」という感覚が消えなかった。だから自然とコミュニケーションが減りました。(折を見て会っているし、数ヶ月会わなかったところで友人関係になんの変わりもありませんが。)

 

そんな中で一番連絡を取っていたのが、超特急を通じて(SNSを通じて)出会った人たちです。

 

同じものが好きで、同じ楽しみ方を知っていて、同じやるせなさを共有している。そんな友人がいることが心の支えになりました。

超特急を通じて出会った友人は、誰もかれもが時間を共有していて心地いい人たちで。顔も見えない画面上のやりとりから直接会えるところまでコミュニケーションを取った相手だから当たり前といえばそうなんですが、一緒に何かをすることがとにかく楽しい。

思い返せば、TRPGだったり通信で遊べるゲームだったり、オンラインのコミュニケーションツールを駆使した新たな遊び方を知った2020年でした。しかもそれがものすごく楽しい。

元々オンラインでコミュニケーションを始めた間柄だから通話することもハードルが高くなくて。コロナ禍で出来ないことが増える一方だと思っていたけれど、反対に今だからこそ「やろう」と言えることも増えていっていたことに気づいた時には、とても幸せな気持ちになっていました。

幸せなことはそれだけではなく、リアルの友人関係なら当然ある「旧知の仲」だとかそういう前提が無い中で、純粋な人の優しさだとか思いやりだとかを感じさせてくれる友人ばかりだったこと。すごく救われました。仕事や生活の糧になりました。

 

話は変わりますが、私はコブクロの「サイ(レ)ン」という曲が好きです。

歌詞を読んでもらえば分かりますが、SNSの在り方というものを考えるきっかけにもなる曲です。ここまで、SNSで出会えた財産の話をしてきましたが、冒頭でも述べたとおり私はSNSで知り合った人と会うことを薦めているわけではありません。ただ、いくらSNSで仲良くなっても、信頼できる存在になっても、直接会ったことが無いならあくまでその相手は画面の中の人物であり、それ以上でもそれ以下でもないということは心に留めておきたいです。目と目を合わせたコミュニケーションに勝るものはないと思っています。

贈り合おう「時間」という究極のGIFTを

私が超特急を通じて出会った人たちとSNS上でコミュニケーションを取るとき、必ずその人の顔を思い浮かべます。お互いの時間を割いて遊ぼうとするのも、いろんな感情を共有しようとするのも、相手の顔が浮かぶからこそです。

 

主題がズレているように感じ始めてきましたが、そこまで本気のコミュニケーションが取れるくらい仲を深められたこの出会いをくれたのは、やっぱり超特急なんです。

結局、間接的に超特急に救われているんですよね。

 

いい出会いをしたな、と心から思います。

 

一緒にライブに行って、一緒にご飯を食べて、超特急が関係ないところでも楽しい時間を共有できて。そんな友人たちと出会えたのは紛れもなく超特急のおかげです。

普通に生きていたら絶対出会えなかった。超特急がいるから、人生が豊かになりました。

シンプルに、大切な人が増えました。いやどんどん増えていく。超特急というひとつのグループを好きになっただけなのに。8号車が常にTwitterで躍動しているのは、そういうところなんだろうなと思います。超特急の存在は人と人のあたたかい繋がりを生む。大げさではなく、多くの人の人生においてそうなんだと思います。私ももちろん。

 

 

そろそろ何が書きたかったのか分からなくなってきました。きっとこれも備忘録です。超特急のおかげで素敵な友人ができたんだ、と。超特急のおかげで幸せな時間が増えたんだ、と。そうした気持ちを実感させてくれる超特急って最高なんだ、と。そんな感情の備忘録です。

 

いやあ、超特急に出会えてよかったな。

それに尽きます。